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聞き従いは、神様の望まれていることをすること。
聞き従いは、献身と同じであること。
主よ、わたしの望むことではなく、あなたの御心をなさってください。
イエス様の祈りのことばも、、
2025年2月6日
聞き従いは、神様の望まれていることをすること。
聞き従いは、献身と同じであること。
主よ、わたしの望むことではなく、あなたの御心をなさってください。
イエス様の祈りのことばも、、
テモテ小林さんがメッセージ されます。聖書箇所は、
“まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。”
ヨハネの福音書 12章24~25節
沢山の人々が主を信じていったのです。
ペテロ・バプチスタは、最後に槍を受けることになりました。それは執行人たちが、25人の仲間たちが殺されていくのを見れば、信仰を捨てるかもしれない、と考えたからです。しかし、ペテロ・バプチスタは、全く違うことを思っていました。
それは、全員が誰1人信仰を捨てることなく最後まで主を愛して殉教することを願っていたのです。そして、それを自分の目で見届けたいと祈っていたのです。 この祈りはきかれ、仲間たち全員のその姿をしっかりと見届けてから天へ帰ることができました。主は彼の祈りにこたえてくださいました。
パウロ三木は、最後、十字架でゆるしのメッセージを語りました。
十字架の上から 最後まで福音を語ります。
「私は執行人を赦します。
なぜならイエスキリストが私の罪を十字架で赦してくださったからです。私はだれをも恨んでいません。全ての日本人がキリストを信じることを願っています。」
十字架の上にあったのは賛美とゆるし、でした。
パウロ三木は、京都で捕らえられてから、ずっと福音を語り続けてきました。
そして、この十字架の上での説教が彼にとっての最後の説教となりました。
アントニオ少年
財産を全部やるから降りて来いと、アントニオ少年は、泣き叫び止めに入る両親を目の前に十字架の上から言います。
「喜んで下さい! 私は天国へ行きます。」「お父さんお母さんもイエス様を信じて天国へ来てください」と。
死の場所は、主の天の臨在あふれる場所に!
アントニオ少年と、ルドビコ少年
は、共に十字架で賛美する約束をしていた。
詩篇113篇を賛美しました。「子らよ、主をほめたたえまつれ」その時、4000人もの見学人は、思わずともに賛美をしたそうです。 天国が降りた様な天の臨在があらわされました。
ルドビコ少年
西坂の丘で 「私のつく十字架はどこですか?」丘を駆け登ると、12歳のルドビコ少年は自分のつけられる、一番小さな十字架を抱きしめ、頬ずりし口づけしました「パライソパライソ(天国)」と言って点を見上げつつ凱旋していった。
バスおります。これから西坂の丘へ。
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