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お母様は、イザヤ木原さんが牧師になってほしいと願われて、ご本人には一言も言わずに、ずっと祈られていたそうです。
また、献身して、かつて神学生だったイザヤ木原さんの説教をお父様は喜んで聞いてくれたそうです。
信仰。継承。祈り。
2025年2月6日
お母様は、イザヤ木原さんが牧師になってほしいと願われて、ご本人には一言も言わずに、ずっと祈られていたそうです。
また、献身して、かつて神学生だったイザヤ木原さんの説教をお父様は喜んで聞いてくれたそうです。
信仰。継承。祈り。
神様のご計画、み手の中、TLEA教会に起きてきた様々なお話も聞かせていただいています。
車中でも、ほぼノンストップで殉教に関するお話、教会、信仰について語られています。とても恵です!
時津での祈り
イザヤさんが、教会にお墓が与えられた時のことを、お話して下さいます。
お祈りして、最終の西坂に向かいます。
賛美し、礼拝をささげました。
時津
殉教者達にとって、時津の夜は、まさにゲッセマネでした。地上で過ごす最後の夜となりました。
26人は夕方、東彼杵から舟で出
夜の11時頃、時津に運ばれてきました。
とっても寒い夜でした。
極寒の中で後ろ手に縛られ、小舟に揺られていた彼らは、祈りながら賛美しつつ身を寄せ合いながら過ごしました。
キリシタンの町であったので暴動が起きる事を役人に警戒され、その日上陸は許されず、26人は沖で、吹きさらしの舟に残されたのです。
殉教する前の最後の夜を舟の上で過ごし、
そして、殉教の2月5日。殉教者達は、処刑される、西坂まで歩いて行ったのです。
あ
着きました。
恵の時でした!
彼杵、時津の流れを語り続けて下さってます。
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