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マーリンキャロザースさんの

マーリンさんのお証です。

マーリンさんは、身体が年齢と共に衰えてきて辛かった時に、神様に祈り神様から語りかけをいただきました。

マーリン、あなたは天に近づいているのですよ!それを聞いて喜びがあふれた。

その様に、私達も天を見つめていること、天を日常の中、しっかりつかんでいることは重要。

最後に

ペテロ・バプチスタは、最後に槍を受けることになりました。それは執行人たちが、25人の仲間たちが殺されていくのを見れば、信仰を捨てるかもしれない、と考えたからです。しかし、ペテロ・バプチスタは、全く違うことを思っていました。

それは、全員が誰1人信仰を捨てることなく最後まで主を愛して主の喜びの中で殉教することを願っていたのです。そして、それを自分の目で見届けたいと祈っていたのです。 この祈りはきかれ、仲間たち全員のその姿をしっかりと見届けてから天へ帰ることができました。主は彼の祈りにこたえてくださいました。

ルドビコは

西坂の丘で 「私のつく十字架はどこですか?」丘を駆け登ると、12歳のルドビコ少年は自分のつけられる、一番小さな十字架を抱きしめ、頬ずりし口づけしました。

死を前に彼は歓喜した。

なぜこんなにも彼らは喜べたか?

天を信仰により見ていた。彼らにとってこの場所が天の入り口であった。

ゆるしと天国の説教を

パウロ三木は十字架の上から 最後まで福音を語ります。「私は執行人を赦します。

なぜならイエスキリストが私の罪を十字架で赦してくださったからです。私はだれをも恨んでいません。全ての日本人がキリストを信じることを願っています。」パウロ三木は最期に「赦し」の説教を群衆に語りました。 十字架の上にあったのは賛美とゆるし、でした。

パウロ三木は、京都で捕らえられてから、ずっと福音を語り続けてきました。そして、この十字架の上での説教が彼にとっての最後の説教となりました。

彼らの伝道スピリット。

今私達は、終わりの時代の宣教、最後のバトンを渡されたランナーである

主に祈りつつ主の力で使命の全うを

処刑場に賛美があふれた

アントニオ少年と、ルドビコ少年は、共に十字架で賛美する約束をしていた。

詩篇113篇を賛美しました。「子らよ、主をほめたたえまつれ」その時、4000人もの見学人は、思わずともに賛美をしたそうです。 天国が降りた様な天の臨在があらわされました。

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