後ろ手に縛られ、小舟に揺られていた彼らは、祈りながら賛美しつつ身を寄せ合いながら過ごしました。

キリシタンの町であったので暴動が起きる事を役人に警戒され、その日上陸は許されず、26人は沖で、吹きさらしの舟に残されたのです。